禅語「且坐喫茶」|忙しいあなたこそ!たまには抹茶でも一服いかがですか?

茶道編

どうも!いそやんです!

今回は禅語の「且坐喫茶(しゃざきっさ)」を取り上げます。

その意味は字面通りで、しばらく座ってお茶でも飲もうよ、ということです。

情報が溢れとにかく何かをインプットし続けなきゃいけない昨今の社会においては、特に重要な意味を持つと感じます。
実際にお茶(特に抹茶)を飲んでみると、気持ちが安らいだりしますしね!

日々忙しなく、やることに追われてる方はこの記事を読みながらお茶でも飲んで、ほっと一息ついてみましょう!

参考文献はこちら:「やさしくわかる茶席の禅語」

*この記事にはプロモーションも含みます。

一日中キーボードをたたき続けるような生活をしていませんか?

冒頭に「且坐喫茶」の意味はお伝えしたので、今回はいつもの参考文献から「且坐喫茶」の解釈を引用したいと思います。

私たち日本人はこれまで一生懸命仕事をしてきた。それこそ脇目もふらずに、会社人間となって働きつづけてきた。そこには、はっきり言って、お茶を飲む余裕などなかったといっていいでしょう。しかし、それはやはり人間として問題の多い生き方であって、会社でコンピューターに向かって、一日じゅうキーボードをたたきつづけるだけの生活では、あまりにも人間として貧困であるといわざるをえません、そこで、ふっと一息つく。我に返るといいますか、わが身を振り返る余裕がほしいのです。

やさしくわかる茶席の禅語 P.82

はい、目下キーボードをたたき続けて仕事をしております(耳が痛いw)。

日本人だからかどうかは別として、かくいう私もこれまで一生懸命働いてきました!(自分で言う?)
与えられたタスクをこなすことに幸福感を得て、その状況を鑑みることもなく生きてきました。

それが悪いわけでもなく、その時はそれで幸せだったので、後悔もありません。(その分お金ももらえるし💰)

でも当時は『どういう時間の使い方が自分にとって幸せか』については全く考えていませんでした

この視点を自分が年齢を重ねる前に持てるかどうかは、結構重要だなと思っています。

なぜなら、タスクをこなすというような受身的な状態では、時間の使い方だけでなく自分の幸せもコントロールしづらいからです

この引用した箇所もそういった意味合いで「人間として貧困」という表現を使ってると感じます。

自分でコントロールできる範囲が広がるほど幸せを感じやすい

自分が意図したように人生を送れること、これは主体的に人生を生きてることだと言えます。

(過去記事『禅語:主人公』も参照ください)

それが部分的にでもできていると自然と活力も生まれ、どんどん生きることが楽しいと思えるようになるのです。

忙しない日常の中でお茶を一服飲むことも、「そうしたい」という自分の欲求です。

それを叶えるために自ら時間を作ること。

いや、作るというよりもその時間を優先することこそ自分で人生をコントロールしているということなんだろうなと思います。

他人に言われたままに動くのではなく、何が自分にとって大事なのかを考え、それを実行することの強さ。

今どんなふうに時間を過ごしてる、一度立ち止まって考えてみましょう。

実際にお茶でも一服しよう!

この解説を読んでから、私は意識的にお茶を飲む時間を取るようにしました。
職場ではもっぱらコーヒーですが、在宅勤務の日には、自分で抹茶を点てて一服飲んでいます。
麦茶など、普段飲んでるものでも一息つけたらなんでもいいかもしれませんが、抹茶は特別感があるのでスイッチが切り替えやすくてオススメです🍵

日々仕事に忙しく、ましてや仕事がなくてもSNSで情報をとにかく消費することを無意識にしがちですが、たまにはその日常から離れてみませんか?
余白があってこそ、自分が打ち込みたい事柄にも熱中できるものです。

いや、そんなこと言っても時間が惜しいし一服する機会もないよ〜、というあなたに!
いそやんが直々にお茶を点てて差し上げます🍵

茶道体験も含めて、初回は1時間500円。
抹茶とお菓子付きで非日常の時間を提供します。

気になる方は、問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください◎

はい、今日も営業です(笑)

今日もこの話が誰かに届きますようにー!

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