禅語「主人公」から学ぶ。主体性が幸せに生きる鍵だ!

茶道

どうも!いそやんです。

今回は禅語をもとに、私が持ちうる人生観について触れていきたいと思います。

禅語を色々調べていくと、こんな言葉も禅語だったんだと驚くものがいくつもありました。

そのうちの一つが「主人公」という言葉。

なんとなーく、禅語シリーズ第一弾にふさわしい。

そんな気がしたので、一番最初に取り上げることにしました。

自分が、己の人生の主人公であること。

当たり前のようで当たり前じゃないこの感覚。

禅語という言葉に集約された偉人たちの知恵を、自身の実体験を照らして共有します。

こりゃポエミー記事やな。

●参考文献「やさしくわかる茶席の禅語」

この記事にはプロモーションを含みます。

禅語「主人公」の意味とは?

早速ですが、参考文献に書かれている「主人公」のエピソードを共有したいと思います。

昔、中国に瑞巌和尚という方がいました。この和尚は大変に風変わりな方で、普通、坐禅は静かな堂内で行うものですが、瑞巌和尚は外に出て、しかも石の上で坐禅をしました。さらに、瑞巌和尚は、坐禅をしながら、毎日「おい、主人公よ」と自分自身に呼びかけては、「惺々著や(はっきり目覚めているか」「喏(はい、目覚めています)」と自問自答したといいます。

(やさしくわかる茶席の禅語 P.42)

このユーモラスなエピソードを元に、自分が己の人生の主人公であることを自認することの大切さを説いています。

「主人公?そりゃそうやろ?」

はい、そうなりますよね(笑)

でもどうでしょう。

この和尚も毎日自問自答しなければ意識できないように、今現代の私たちも、自分自身が己の人生の主人公であることを感じられているかというと怪しいのではないでしょうか?

不本意な仕事とか、一方的な家事育児の負担とか、嫌な上司によるストレスに塗れた人生とかとか。

他にも、社会の潮流に流されに流されてとりあえずなんとなく今過ごしてる、そんなこともありますよね。

なんか主人公のはずなのにそうじゃない感ありません?

私自身もその一人でした。

自分の人生のはずなのに自分で決めた感じがしない、そんな道を辿っていました。

なぜ「主人公」であることを意識しなければいけないのか?

過去の私の話をすると、私が好きなAcid Black Cherryの曲風にいうと、風に流されるままたどり着いた、みたいな人生だったなと思います。(わかりにくい?)

もちろん、自分の人生の進路を自分で決めた瞬間もあります。

でもそれ以上に、周りの環境によって物事が決まっていって、そこに自分の意志があったかというとそうではなく、流れに抗えぬまま過ごしてきたことの方が多いように感じていました。

一言でいえば、自分の人生に受動的。

そういった姿勢は、一見柔軟に対応できて良いような感じがします。

しかし、じわじわと自己肯定感が停滞していくのです。

起きた事象が良いことでも悪いことでも、受動的という姿勢だけで自分を肯定するのが難しくなってきます。

今起きている事象は自分が決めたことじゃない、そうするように仕向けた◯◯が悪いなど、他責にしてしまうこともありました。

そういった思考はその瞬間は気持ちが楽になっても、後々自責の念に駆られてどんどん自己肯定感が失われていく、負のスパイラルに陥ってしまうのです。

自分は己の人生の「主人公」であると意識することは、自分の人生に受動的な姿勢から脱却することに繋がります。

結果として、幸福感が得られやすいような状態になり得るのです。

「主人公」である=主体性の現れ

自分の人生を自分で決めていくこと。

それは、まさしく主体性の現れです。

自分の人生に充実感や幸福感を感じている時というのは、多分にして自らの意志で行動し、道を切り開いている時ではないでしょうか。

少なくとも私はそうでした。

例えば仕事において。言われたことを単にこなすのではなく、自ら考え導き出した施策を行っていくことに喜びを感じました。

人間関係においても同様です。

新たなコミュニティに臆せず飛び込み自ら関係を構築していくことは、とても気持ちが良いものです。

一方で誰彼構わずコミュニケーションが取れるほどの強メンタルを持ち合わせている訳ではないので、新たな環境に飛び込んでも主体的に動けない時もあります(笑)

だけどそういった時は、やっぱり不完全燃焼な気持ちになることが多いのです…。

徳島の阿波踊りに「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆 (あほ) なら踊らにゃ損々」という言葉がありますよね。

見ててもまぁ楽しめるっちゃ楽しめるんだけど、本当に楽しむなら踊る側に立つこと。

主体的に生きることの得は、まさに阿波踊りのこの言葉に全て集約されてると感じます。

踊り繋がりで、TikTokで例えてみましょう。

私はガチのTikTokerではないのですが、一回だけ自分で踊ってみたことがあるのです。めっちゃ簡単なやつ。

これまでは基本、踊ってる人を見る側だったのですが、一度踊ってみたらあら不思議。めちゃくちゃ楽しい…(笑)

うまいとか下手とか関係なく、自分が主催者側になった途端に、世界が変わる感じがしました。

騙されたと思って、一回踊ってみてください!別に公開しなくても良いのでw

この体験はまさに踊る阿呆だったなーと今になって思います。

主体性は、行動することで磨かれていく

「主人公」であることを意識することも大事ですが、それ以上に行動することが大事です。

これはまぁいろんな人が大事って言ってるので、今更何を感が否めないのですが…💦

冒頭で紹介したエピソードの和尚も、頭で考えるだけでなく、言葉に出して自分に問いかけてましたよね。

問いかけだけで足りるかはさておき、頭で何か思っているだけじゃ真の主体性は得られません。

というか環境が変わらないので、主体的になりようがないのです。

やっぱり環境を変えるための行動が必要になってきます。

それは本当にほんの少しの行動でいい。

私なんて、社内部活動のフットサルに、知ってる人も少ない入社2ヶ月目で思い切って参加したことで道が開けたといまだに思ってます!(笑)

行動とか言いつつも、めっちゃしょうもなくないですか??

周りからしたらちっぽけなことかもしれません。

でも、自分にとっては勇気ある一歩で、それが自分自身を主人公だと思えるきっかけになっていくのです。

周囲の雑音を一回消して、自分の心に素直になってみよう

何かしらのアクションを起こそうとするとき、その行動を阻んでくるのはやっぱり周囲の目です

ただし、必ずしも周囲を取り巻く人たちだけが悪いというわけではないと思ってます。

◯◯したらこう思われるんじゃないか…という疑念は、自分の中のみに湧き上がっているものであり、他人が実際どう思ってるかなんてわかりゃしないからです。

つまり、行動を踏みとどまらせているのは自分自身とも言えます。

そういった雑念は一度消してしまいましょう!

その上で、自分の本心に従ってみてください。

たとえそれが、フットサルに参加するような小さな一歩だとしても。

踏み出せることを心より応援しています!

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