禅語「随処作主」から学ぶ|主人公として生き続けるにはどうすべきか!

茶道編

どうも!いそやんです。

禅語シリーズ第二弾は、「随処作主(ずいしょにしゅとなる)」。

なぜこの禅語を取り上げたかというと、第一弾で紹介した禅語「主人公」と紐づく意味合いだったからです。
※シリーズ第一弾「主人公」に関する記事はこちら

その記事では、自分が己の人生の主人公であると認知すること=自分の人生を主体的に生きる重要性を伝えました。

しかし!

この「随処作主」では、主人公なんだから辛いときがあってもちゃんと受け止め、常に主人公であれ、と言ってるのです。

厳しい!!いやその厳しさが禅マインドなのかもしれん…。

でもでも、辛いことを常に正面から受け止めていたら持たないっすよ先輩。。涙
少なくとも私は速攻で避けたいやつwww

ということで、禅語の意味合い的には厳しいことを言われているんだけども、それを違った視点で自分の生き方に反映させようと思います!(逃避?)

今回もポエミーなやつ。

参考文献はこちら:「やさしくわかる茶席の禅語」

この記事にはプロモーションを含みます。

禅語「随処作主」の意味とは?

今回も参考文献から「随処作主」の内容を引用します。

「随処作主」とは、いついかなるところでも主となる、つまり主人公たることを見失わない、ということです。そうすれば、「立処皆真」、すなわちすべては真実である、というのです。

やさしくわかる茶席の禅語 P.86

ふむふむ、主人公でいることを忘れるな、つまりそういうこと?

だったらこの前の「主人公」の禅語と一緒じゃーん!

と思っていたら、

いついかなるところでも、と言っても、そこがいいところばかりとは限りません。仏界に行ったら、仏界の「主人公」となる。しかし、たとえ魔界に行ったとしても、魔界の「主人公」とならなければならない。

やさしくわかる茶席の禅語 P.86〜87

順調なときだけ主人公であればいいのではありません。逆境のときでも、その逆境の中で厳然として主人公でなければなりません。

やさしくわかる茶席の禅語 P.87

えええーー急に厳しい!

あまりの急展開に、KinKi Kidsの「ジェットコースターロマンス」が頭に流れてきました。(全然ロマンスではないんだけども笑)

いやまぁそうだよねー、主人公だからといって甘い蜜を常々吸ってるわけじゃないよね〜〜。。

ということはわかりつつも、もうちょっと自分が主役ってことで幸せな気持ちに浸らせてくれよ〜〜。涙

主人公だからといって、辛いことや苦しいことを頑張って乗り越えなきゃいけないのか?

生きていたら苦しいことも辛いこともあるっちゃある。

自分の取り巻く環境次第でその頻度や程度は違えど、全くない状態を作るというのは難しいもの。

だからこそ、どんな場所でも毅然たる主人公であれ、ということなのかもしれません。

がしかし!誰もがみんな、そんな屈強な人間ではない!

かくいう私も、そういった苦しみをできる限り避け、常にハッピーな主人公でありたい!!(笑)

でも、苦しみや辛い出来事を避けることができないとするならどうするか…。

「捉え方を変えるしかない」

人生は無意味なもの、という考え方

私が大学2年の時に出会った、サマセットモーム著の『人間の絆』という小説。

プロフィールページにもその内容は記載しているので、詳細はそちらを参照してもらいつつ…

ここでは超シンプルにそのメッセージを伝えたいと思います。

ズバリ。

「人はいつか死ぬ。死後に自分に残るものはない。だからこそ、今この瞬間をどう過ごすか、そして最終的にどんな人生にするかは自分次第」

人間が最後にたどり着く「死」は、揺るがないもの。

だからこそ、そこに至るまでのプロセスって正直なんでもいい。

良いことをしても悪いことをしても、起きたことをどう捉えるかも全部自分に委ねられている。

そういう意味でいうと、人生は無意味かもしれないけど、どう生きたいかを選択する自由はあると言えます。

「随処作主」の話に絡めると、苦しいことや辛いことがあった時、その出来事をそのまま辛い、苦しいと捉えることもできます。

しかし、それをただ真正面に受け止めて力づくで乗り越えようとするのではなく、この出来事が自分の人生にとってどんな意味を持つか、プラスに転じる要素はないかと考えることもできます。

違う角度から出来事を捉えることで、自分が持つ理想の生き方に近づける感じでしょうか。

かくいう私はこの一連の思考プロセスから、「人生は楽しいものであるべし」という人生観が生まれ、自身に定着していきました。

今では、その方針のもと日々の行動を意思決定し、且つ辛い出来事にも楽しいと思える部分を見出してきました。

というよりは、楽しくなるような生き方を選択していったという方が正しいかもしれません。

こういった様々な出来事が、最終的には自分の人生を完成させるのだと思うと、あらゆる事象に一喜一憂することがなくなりました。

「随処作主」だからといって、一人で生きる必要はない!

これまで、自分は己の人生の主人公だから、どんな状況であったとしてもそれを貫け、という文脈で話をしてきました。

しかし、だからといって、なんでもかんでも一人で乗り越えなきゃいけないわけではない。

むしろ、いろんな人の協力を借りた方がいいし、頼った方がいい。

人間って、なぜか一人でどうにかしようって思考が働きがちだと思いませんか?

それで自分の首を絞めてる、とも感じています。

まぁ私自身もその思考に陥るときは度々あります。

こうやってブログを書いている理由も、会社に依存しない経済的自由を求めてのことだったりします。

その一人で生きていくということが悪いとは思いませんが、この思考になった瞬間に窮屈な気持ちを感じるのも事実。

それに反して、誰かを頼ろうと思えている時は、不思議と気持ちが楽になるし、その方が生産性も上がったりするんですよね。

つらつら書き連ねてきましたが、結局何が言いたいかっていうと、

主人公であるという意識は大事だけど、一人で生きなきゃいけないわけではない。

つまりそういうこと!

今日もこの話が誰かに届きますようにー!

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