生きるとは、誰かの心に灯をともすこと──ラーゲリと茶の湯の交差点で

「日常」と茶の湯

映画『ラーゲリより愛を込めて』を観て

映画『ラーゲリより愛を込めて』を観た。
歳をとってからというもの涙腺が緩くなった自覚はあったが、ここまで号泣するものかと言わんばかりに涙溢れる映画だ。
そして、終わる頃には、ただ「感動した」では済まされない何かが、心に静かに沈んでいた。

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ただの事実に基づいた映画ではない。
今当たり前に平和な時代を生きる僕たちに、「どう生きるのか」という問いかけをするものだった。
茶の湯だけではない、誰しもが直面する生き方への問い。

そんなことを当作品を見て考えさせられたものだ。

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山本幡男という人間の光

主人公・山本幡男は、シベリアの過酷なラーゲリ(収容所)に抑留された中で、明るさと希望を失わない人物として描かれている。

ロシア兵に虐げられ、心が蝕まれ、精神的にいつ狂ってもおかしくないような環境。
それでも彼は、自分よりも誰かのために生きる選択をする。

仲間たちが心を保つために始めた野球。ある仲間が、希望を取り戻しかけたその瞬間に中断されそうになった場面で、彼はロシア兵に「この打席だけは最後までやらせてほしい」と願い出る。

極限状態の中でも、他者への配慮や祈りを忘れないその姿勢に、心を打たれた。

今際の際に書いた遺書もそうだ。
自らの死が近いことを知りながら、そこにはただ家族の幸福を願う言葉ばかりが綴られていた。
「人は、どこまで誰かのために生きることができるのだろう」
観終わった後、そんな問いが胸を離れなかった。


絶望の中で生きる意味を支えたもの

そんな彼だって人間だ。仲間の死や裏切り、そして自身の病気に希望を失いかけた瞬間もあった。
しかし、最後まで「誰かのために」という姿勢を手放さなかった。
それは、無理に元気であろうとしたのでも、強くあろうとしたのでもない。
ただ、「自分一人で生きているのではない。日本で待ってくれている人たちがいる」という信念がそうさせたのだろう。

どんなに苦しくとも、他者とともに生きる希望を見出し分かち合うことができる──
その事実こそが、生きることの灯火になるのかもしれない。


現代の私たちに引き寄せて

話は少し変わるが、最近、友人が突然亡くなった。
僕と同じ33歳。死因も明かされぬまま、いきなり届いた訃報。

お別れの会で、その顔を見た時、「本当に死んだのか?」と疑った。あまりにも安らかで、美しい顔だったからだ。

生きることと、死ぬこと。その境目はなんなのか、わからなくなった。
死んだら残るものは何もない。
生きることに意味はあるのか?
いや、意味はどうでもいい。ただ、せめて「どう生きたか」だけは、問い続けねばならない。

映画も、そしてこの友人の死も、自分に同じことを問いかけてくる。
「自分だけのために生きていないか?」と。


茶の湯が教えてくれる「思いを込める」ということ

茶道は、日常の中で己の生を見つめ直す機会だと思っていた。

しかし、それはあまりにも自分だけの視点であったことに今更ながら気づいた。
相手のために湯を沸かし、心身を清め、丹精込めてお茶を点て、静かに一碗を差し出す。
そのすべての所作は、「誰かのために」という想いがなければ成り立たない。

裏千家茶道お家元、鵬雲斎大宗匠が靖国神社で献茶される時、必ず涙を流されるという。
それは単なる儀式ではなく、過去の悲しみと仲間に思いを馳せ、茶の一碗に込めているからこそではないだろうか。

先日、大宮八幡宮でその献茶式に立ち会った。
そのお点前は、「想いがこもって」いた。
お点前だけじゃない。その一挙手一投足に僕は想いを込められているのか?

そう思わざるにいられなかった。


最後に──誰かのために生きるという選択

人は窮地に立った時こそ本性が出るとよく言われる。
それはそうだ。誰だって自分がかわいいし、少なくとも幸せでありたいと願い、窮地はまさにその状態が揺らぐ瞬間だ。

いくら身分が高く、出世して人の上に立っていたとしても、本来人に上下などはなく誰しもが支え合わなければ生きていけないものなのだ。

かくいう僕も、目の前の悩みに振り回され、自分のことばかり考えてしまう。
しかしそんな中でも、「誰かのために」行動できたなら、そしてその想いが広がっていけば、世界はもっと平和になるのではないか。

茶の湯も、映画も、そして亡くなった友人も──
すべてが教えてくれたのは、「誰かのために、思いを込めて生きる」ということ。

明日、死ぬかもしれない。
それでも今日、明日、明後日と、自分の行動に少しでも誰かを思う気持ちを込めて生きていこう。
それは今を生きる人たちだけでなく、未来に生きる人たちのためにも。

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